10月17日、ドラフト会議2019がついに始まりますね!
そして、ドラフト後の毎年恒例番組、『ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう』も19時より、生放送特別番組で放送されます。
佐々木朗希選手や奥川恭伸選手に注目が集まる中、ある感動エピソードを持つ一人の選手にも注目してみてください。
今回紹介するのは、国士舘大学4年生の高部瑛斗選手です。
野球の実力はもちろんすごいのですが、兄弟や母親、家族の絆が、涙が出るほど感動してしまう話なんです。
この記事では、
・高部瑛斗選手がプロ入りをしなければならない覚悟の理由
目次
高部瑛斗の母親と兄弟の家族の絆とは?
ドラフト会議2019があるまで、高部瑛斗選手の名前を聞いたことがない方も多いかと思います。簡単にプロフィールから紹介していきますね!
高部瑛斗のプロフィール
・名前:高部瑛斗(たかべ あきと)
・生年月日:1997年12月11日(21歳)
・出身地:神奈川県寒川町
・身長:178cm
・体重:72Kg
・ポジション:外野手
・利き腕:右投左打
・出身高校:東海大甲府高校
・所属大学:国士舘大学
小学校3年生から野球を始めた高部瑛斗選手。一つ年上の兄が野球をしていたために、野球をやり始めたようです。
高部瑛斗選手の経歴や成績
強豪の東海大甲府高校で活躍した高部瑛斗選手は、2,3年生の時には、夏の甲子園にも出ています。
国士舘大学に進学後は、1年生の初めから、つまり最初からレギュラーで試合に出始めます。余程の実力じゃなければ、強豪大学で1年生から試合に絡むことはできないですよね。
国士舘大学は毎年、全学年100人近くの部員数になります。その中でレギュラーを張る。飛び抜けたものが高部瑛斗選手にあるのは間違いありません。
高部瑛斗選手のプレーですが、走ってよし、打ってよし、守ってよしの走攻守3拍子揃った選手です。特にバッティングは、ミートの技術が抜群で、左右広角に打ち分けることができます。
高部瑛斗選手は、成績もずば抜けた記録を残しています。
試合に出た7季の中で、出場した試合の成績は、打率3割以上が4度もあります。今季は、東京都二部ではありますが、109安打の記録を更新し、歴代最多安打記録の快挙を達成しています。
ここまで書いてても、すごい選手なんだなと感じますよね^ ^
高部瑛斗選手はスイングが独特で、記録を更新する安打製造機ぶりから、『国士舘のイチロー』というあだ名があるほどです。
完成された穴のない選手ですので、プロ入り後は、即戦力の活躍が期待されます^ ^
高部瑛斗の弟との絆
気になる家族の話ですが、高部瑛斗選手が野球を始めた理由となる、兄がいることは書きましたが、弟の晴斗さんとの辛く、悲しい話があったのです…
高部瑛斗選手が東海大甲府高校に通っているとき、仲良しの弟、晴斗さんに突然の病魔が襲います。中学校で倒れた弟の晴斗さんは病院に運ばれますが、ドクターから父親と母親に告げられたのは、『急性白血病』というあまりにも重い病名でした。
突然の宣告に父親と母親は涙に暮れたそうです。
その後、弟の晴斗さんは必死の闘病生活を送りますが、16歳の若さでこの世を去ってしまいます…
高部瑛斗選手が弟の晴斗さんの病の事実を知るのは、高校2年生の冬でした。闘病生活の中で、高部瑛斗選手と晴斗さんのある出来事、プロ野球入りを目指すきっかけにもなる約束ができます。
そこには、兄弟の絆の物語がありました。
高部瑛斗がプロ入りを目指す覚悟の理由!
高部瑛斗選手の弟、晴斗さんが病と闘っていたある日、無菌室にいて、外出することができない晴斗さんからこう言われます。
『また兄ちゃんが野球するとこ見たいな〜』
この瞬間に高部瑛斗選手にある決意ができます。
『弟は外に出て野球を見ることができない。でも自分がプロになって活躍すれば、テレビで野球している姿を見せることができる!』
この時から高部瑛斗選手のプロになるためのより一層の努力が始まります。
高校では甲子園に出場、国士舘大学進学後は、記録を残すほどの活躍。そして、ドラフト候補生になるまでの成長をしました。
プロ入りを目指す努力を続ける途中、晴斗さんが天国に旅立ってしまい、挫けそうになる瞬間はあったと思います。それでも諦めることなく、夢を叶える一歩手前まできた高部瑛斗選手。
弟、晴斗さんと絶対に果たさなければならない約束、プロ入りしなければならない覚悟の理由があったのですね。
まとめ
今回は、
について、紹介しました。
弟の晴斗さんはテレビではありませんが、天国からずっと兄の瑛斗選手のことを見守っていることでしょう。
『指名がなければ、野球を辞めます』と話す高部瑛斗選手。
弟との約束が果たせることを本当に願っています。
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